「等身大で生きる」ということ
「どんな場面でも等身大でいる」という言葉はとても聞こえが良いし、僕自身もそんなふうにできたら良いなぁと思うことはたくさんあるけど、でもそれってどういうことなんでしょうか。
「等身大でいる」というのは、言い換えれば「自分に素直である」とか、「嘘をつかない」とか、「思ったことをちゃんと言う」みたいなニュアンスを含んでいる気がします。
言葉では簡単なように聞こえるけど、これって結構難しいなぁというのが僕の印象です。
皆さんはどのように感じますか?
友達といる時の自分、家族といる時の自分、恋人といる時の自分、同僚といる時の自分、上司といる時の自分、ひとりでいる時の自分。
様々なシーンがあると思いますが、「どんなシーンでも等身大でいられる人」もいれば、「一部のシーンだけで等身大でいられる人」もいると思います。
逆に「どの場面でも等身大でいられない人」もいるかもしれません。
でもひとつ思うのは、「等身大でいられない時の自分」というのは偽物かというと、そんなことはなくって、むしろその姿も等身大と言えば等身大なのかもしれない。
こんなことを言うと、ちょっと屁理屈のように聞こえてきてしまいますが、自分のことを素直に出せずドギマギしちゃっている自分も、やっぱり自分であることは変わらないんですよね。
「自分らしく生きよう」
「ありのままでいよう」
こういう言葉にも表されているように、「等身大で生きる」ことはすごく大切だし人生をより豊かにできる状態であると思いますが、でもちょっと待った、一旦立ち止まって深く考えてみることも大事かもしれません。
どんな自分も、自分。
食い違う自分も、自分。
それで良いんじゃないかなぁって思ったりもしています。