なぜ僕は「他者が持つ答えのない問い」を一緒に探究したいのか

前回の記事の中でこんなことを書きました。

「不安だけど大丈夫」「大丈夫だけど不安」という2つの矛盾するような思いが心の中に混在して、ぐちゃぐちゃと絡みあっているようなもの。それが「僕が探究したいと考えている、答えのない問い」ということです。


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これは、僕が探究したい答えのない問いの説明なのですが、言い換えるならば「あなたの内面の響きに耳を澄ませて、わずかな音も拾いながら一緒に心を感じていく」ということをやりたいんです。

では、なぜこれをやりたいのか?

今回はこのテーマで考えます!

目次

思いついたことを書いていく

「結論から言うと…」という入り口で書いた方がわかりやすいとは思いますが、今まさに考えながら書いているのでその過程をまんま出してみたいと思います。

まずパッと思いつくのは、母が末期癌になってから毎週末にやっていた面談なので、その時の話から。

母親との毎週面談

母が余命1年と診断されてから「最期までの時間をどうしたら幸せにできるか」と考えたときに、「心の負担をできる限り最小限にしたい」という想いのもと面談をはじめました。

もちろん最初はふたりきりで話すのはこっぱずかしいし、なんならそんな機会今までの人生でなかった。だけどそんな僕の恥ずかしさよりも「母が心穏やかに過ごせること」の方がよっぽど大事だったんです。

ある時、母が通っていた病院で「今気になっていること・不安なことにチェックしてください」というアンケートが癌患者さんに対して実施されました。

その時母は「身体の不安」や「仕事の不安」などの項目の中にいくつかチェックを入れたそうですが、「心の不安」の項目にはひとつもチェックがつかなかったそうです。

その日の夜母から「今日アンケートを受けたんだけど、心の項目には一切チェックしなかったんだよね。これは間違いなくひでが毎週末に話を聞いてくれてるからなんだ」と嬉しそうに言ってくれました。

僕はその時に「あぁ毎週面談やっててよかったなぁ。」と心の底から実感しました。それと同時に「心に寄り添うこと」で幸せな時間を生み出せるし、守れるということを知りました。

ひとつわかったこと

僕は「相手の心を感じ、心に寄り添うことで、味わい深い時間を過ごすことができる」ということを、身をもって感じました。

そして何より、話している時間そのものが僕にとっては「楽しい・ワクワク」で溢れているんです。

もちろん母と話している時はかなり踏み込んだ話をしていたので、お互いに涙を流すことも多々ありましたが、それでもその時間は僕にとっては「楽しい」んです。

なぜなら、心を探究して掘り出していくこと自体が好きだから、そうやって相手を知れることがワクワクするから。

それは家族じゃなくても同じです。僕は「人間」に対してめっちゃくちゃ興味があるから、ぶっちゃけ家族か否かは関係ありません(笑)

だから僕は「あなたの内面の響きに耳を澄ませて、わずかな音も拾いながら一緒に心を感じていく」ということをやりたいのだと思います。

今回の記事のまとめ

最後までお読みいただきありがとうございました!

自分でも書きながら整理していって「自分ってこんなことを思っているんだ」と理解することができました。

もっと広く、たくさんの人に僕の信念を届けられるようにがんばりまっす!!!

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