人の手が加わっていない森がすごかった!原生林に入ってきた感想をまとめてみた

2023年2月24日(金)、僕は山中湖近くの森に入りました。さっそくですが、この動画をご覧ください。

「THE・森ぃぃぃい!」って感じですよね。

というのも、今回入った森は人の手が加わっていない「原生林」だったので、いわゆる観光地とは違います。もちろん整備された道はないですし、「こっち→」とか「順路」みたいな看板もないですし、小屋とかトイレとか、そういう人工のものは一切ありません。

その他にも写真を撮ったので、いくつかご紹介したいと思います!

いやぁぁ、すごかったなぁ。。

写真や動画だと全て伝わりきらないもどかしさはありますが、それでも「観光地」や「整備された森」とは一味違うことが分かるんじゃないかなと思います。

今回、森を歩き続けてきた「アトムさん」という方に案内していただきながら、合計3人で原生林の中を歩いてきたのですが、その体験がとても最高だったのでこの記事に残したいと思います。

「森を歩くの興味あるけど、実際どんな感じなの?」という方はぜひ最後まで読んでもらえると嬉しいです(^^)

目次

森の中でやってみたこと

生まれてはじめて原生林に入った僕はついついテンションが上がってしまって、思いついたことをそのままやっていました。

もろくなった木を観察してみた

森に入る前に案内人のアトムさんから「土か木かわからない木があるんだよね」という話を聞いていたんですが、考えることが大好きな僕からすると、

土か木かわからないだって!なんだその興味深い木は……

と、めちゃくちゃ楽しみにしていました。

そして森の中に入って、ついにその木と対面したのですが「なるほどぉぉ、そういうことか!」と納得したと同時に、生でみるとより一層好奇心爆上げ祭りになりました。

ちなみにこの木です↓

土と木がいちばん曖昧になっている箇所はこのへんです↓

実際に手で触ってみるとポロポロと崩れおちていくし、木というよりも土に近い感じもあるんですよね。うーん、というよりもはや土でした。おそらくボロボロになったその物体を「はい、これ森で拾ってきた土だよ」って手渡されたら、おそらく誰もが土だと信じて疑わないと思います。

これは果たして木なのか土なのか…

こういうところからも、人や物の「名前」はあくまで対象を認識するために便宜上そうしているだけであって、内実はまったく違うということがあるなぁと、そんなふうに思考が深まっていきました。

コンビニのおにぎりを食べてみた

「このへんでちょっと休憩しようか」というアトムさんの合図で、おのおのお昼ご飯を食べることになりました。僕はなにも考えずにコンビニのおにぎりを2個もっていっていったのですが、それがまた不思議な感覚を味あわせてくれたんです。

野球少年だった僕は、意図せずツナマヨネーズをストレートの持ち方で握っていました。

人の手が加わっていない「原生林」と、ごりっごりに人の手が加わった「コンビニおにぎり」のコラボレーション。

僕、最初のひとくちで本当に不思議な気持ちになったんですよね。

「あれ、おれは今自然の中にいるんだよな。。?この味、いつも食ってるやつ。なんだこれ、美味いのは間違いないんだけど、超大自然のなかにポツンと現れたコンビニおにぎりの香り、味、見た目。おれは、、、一体、、、自然、、?人工、、、?」

あ、ちなみにもう一人の参加者の方は、保温瓶にスープをいれて持ってきてました。

はい、間違いなくこれが正解です。僕はその光景を見た時に「あ、これクノールのCMで見るやつだ」と思って羨ましくなりました。もしこれから行かれる方は(特に寒い時期)、ぜひスープを持っていって木のスプーンで飲んでください。

地面に張った氷を食べてみた

写真を撮り忘れたのですが、水溜りのちょっと大きいバージョンみたいなところがありまして、そこに行ってみると薄い氷の膜が地面に張っていたんですよね。

で、やっぱり僕はそれをみたら

うぅぅ。。食べたい。。

という衝動に駆られてしまい、気づいたらその氷の膜を剥がして、バリバリと食っていました。

ただ、それが本当にうますぎて、まったくの雑味がないんです。よく広告で「透き通る美味しさ」とか「スッキリとした味わい」という言葉を見ますが、それはまさにこのことだと痛感しました。本当にうますぎました。

ちなみに僕はペットボトルの水をコンビニで買って持っていったのですが、帰り道にそれをひとくち飲んだら、

え??雑味えぐ、、いつもこれ飲んでたのか。。

ってなりました。いつも飲んでる時は不味いなんて感じたことがなかったのに。でも森の氷を食ったあとには、正直美味しいとは思えなかったんですよね。

「人工の水」が悪いわけではなくって、むしろ日本だったら綺麗な水をコンビニで買えるのは本当にありがたいことですが、それ以上に大自然が生み出す「自然の水」の凄さを身をもって体感した瞬間でした。

裸足になってみた

裸足になって大地を踏み締めるのを「アーシング」と呼んだりするのですが、それをやってみました。

ちょっと小雨が降ってきて最高だったなぁ。雨の音が入っているのでイヤホンして聴いてみてほしい!

いやぁぁ、めちゃくちゃ気持ちよかったです。今思い返してみても最高だったなぁ。大人になると裸足になる機会ってあんまりないと思うので、森にいったらぜひやってみてほしいですね!

「靴」っていつも身体に一体化していて、「いま私は靴を履いている」という意識なんてないと思いますが、森の中で裸足になった後にもういっぺん靴を履くと、「あ、自分と自然の間に靴があるんだ」という認識になります。

これ、冷静になって考えると、海とかでも行かない限り、僕たちは一生のすべての時間を「靴の上」「床の上」「マットの上」といった具合に、すべて人工物の上で過ごすことになるんですよね。

それがダメってことじゃないですが、「自然の上」に立つという時間をつくらないのはもったいないなぁと。ちなみに森で裸足になったとき、心が解放的になって、ずっと眠っていた子どもの頃の自分が目を覚ますような感覚になれました。

まとめ

ここまで読んでくださりありがとうございました!さいごに僕の想いを書いて締めたいと思います。

僕たちは本来、「心」や「身体」といった大自然の力を備えている「動物」だと思うのですが、「頭」がここまで発達してきたために、ある意味「自然」とはかけ離れた生活を送ることになりました。つまり「動物なのに動物じゃない」といった感じです。

もちろん、文明の発展は「頭」の存在のおかげだし、それは人間だからできることだから素晴らしいと思います。でも、どこか「動物らしさ」というものを置き忘れてしまっていることも、事実だと思うんです。

仕事では「その根拠はなに?データを用意してきてね」と合理性を求められ、交友関係においても「この人と関わることにメリットがあるのか」と損得感情に支配されたり、SNSでは「これさえやればうまくいく」という即効性があるものがもてはやされていたりします。

それら全てがダメというわけではありませんが、あまりにもそちら側に傾斜しすぎると「動物らしさ」を失ってしまいます。そうなると、「人間だからこそ感じられる愛」「魂が震えるほどの感動」といったものは、なかなか感じらないわけです。

せっかく人間として生まれてきたのだから、五感を磨いていくことや、じっくり思考を巡らせて意味を見出すことなど、「地球上で人間にだけ許された特権」を使い倒して生きていきたいものです。そうすることで「絶対に死ぬことが確定している人生という旅」が、より素晴らしいものになっていくことは間違いありません。

話が大きくなってしまいましたが、「森に入る」という行為は僕たちを「動物らしさ」の方向に導いてくれると思います。

だからもし、「普段の生活に満たされてはいるんだけど、どこか空虚感がある」という方や、「仕事に忙殺されて疲れている」「人間関係での疲弊がある」などと感じている方は、森に行ってみることをぜひオススメしたいです。きっとなにかの糸口が見えてくるはずです。

ということで、長い文章でしたが、改めて読んでくださりありがとうございました!

森を歩きたい方へ

もし「わたしも森に入りたい!」っていう方がいましたら、アトムさんのFacebookから連絡してみてください。

▼アトムさんのFacebookはこちら
https://www.facebook.com/abe.atom

▼アトムさんの自己紹介記事
https://note.com/atombt/n/n9db0c2d161b1?fbclid=IwAR1eIkErv1jLhdPCDKVGs0y9SBV-Q0ub8lZnZr72AJJcAS39KxVpT5tVriU

・参加費:5,000円/1人
・人数:2人以上(できれば3人以上)

※今後変更する可能性もあると思いますので、詳しくはアトムさんに直接聞いてみてください!

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