心と言葉を行ったり来たり…
僕は自分のことを「心と言葉の探究屋」というふうに言ってみてるわけですが、それが今のところまぁまぁしっくりきてるんですよね。
ただ、「心と言葉の探究屋はなにをしているのか?」という問いをちゃんと立ててみたことはなくって、僕の中では感覚で捉えている部分が多かったなぁと。でも、それを言語化する機会が最近ありました。
stand.fm(ラジオ配信アプリ)にてLIVE配信をしている時のこと。僕は自分が話している言葉を聞いて「あ、これだわ」って納得したんです。実際に話した言葉がこちらです。
模索するのが楽しいんです。心をずっと探究してたいし、言葉をずっと探究してたい。
言葉を紐解いていくと心にたどり着く。この人はなんでこの言葉を使うんだろうか、使わざるを得なくなったんだろうか。どうしてこの表現なんだろうかを解体していくと心にたどり着く。
心にたどり着いたら、今度そこを解体していくと、その人もまだ言語化できていないような扉とか蓋とかあって、そこを一緒に開けて、言語化していく。また言葉に戻していく。
その探究をね、繰り返す感じ。
2022/08/06 のラジオ配信にて
ぬぁぁ!!これじゃん!!っていう感覚になりました。LIVE配信をしていると、予期せぬ自分の言葉によって自分が気づかされる、みたいな瞬間がけっこうあったりします。
こうして書き出してみて改めて思うのは、僕はなにかの答えを求めているわけではないし、誰かにとっての答えを出したいわけではないということ。とにかく「探究し続けること」が僕にとっての信念だし、それが僕にとっての幸せにも繋がってくる感じがしています。
もちろん、「答え」が必要なタイミングもあります。「答え」を探しにいくことが大事な瞬間もあります。だから僕は「答えはいらない」と言いたいわけではありません。
ただ、やっぱり僕が信じているものがあって、それは「言葉と心を行ったり来たりしながら、死ぬまで探究し続ける。そうすると自分の内側から自分を突き動かすエネルギーが湧いてくる。そうして人間が本来持っている“生きる力”がキラっと輝く」ということなんです。
僕はそれを、自分の母親の死を通してものすごく痛感しました。そしてこの感覚を自分の中だけでとどめたくない、もっと広くこの社会に、この世界に届けていきたい。そう強く想っているわけです。
だから僕はこれからも、じぶんの心とじぶんの言葉、あなたの心とあなたの言葉、その両方を行ったり来たりしながらずっと探究し続けていきたいです。