「違和感みたいなもの」が教えてくれること

僕らは人生のさまざまなタイミングで大なり小なりたくさんの決断をしていくわけですが、その中で感じる「違和感みたいなもの」って、適切な「流れ」を教えてくれる貴重な感覚だと思うんです。

「違和感」とは言い切れないけれど「なんだかちょっと違うぞ」っていう感覚、これを見極めながら行動していくことって、自分の人生の流れを良い方向に導いてくれる気がします。

というのも、この微妙なズレみたいなものが、のちのち結構大きな差みたいなことになったりしていくからです。

きっと皆さんも一度は「あの時にちょっと変えておけば、、、ぐぬぬ、、」と思ったこともあるんじゃないででしょうか。

ただ、なんだか言葉にできないけれど「これって微妙かな」とか「ちょっとおかしいな」みたいな感覚って、「本当にそうなのだろうか?」という疑問もセットでやってくるから、自分ひとりで咀嚼するのが難しい。

逆にハッキリと「これは違和感あるな」って言えちゃうものは、その時点でしっかりと次が見えてるんですよね。

そして、この感覚をよくよく検討してみると「まぁこんなもんか。別におかしくはないよね」みたいなことに気づく。いや、気づくというより、「そういうことにしちゃう」っていう言葉の方があってるかも。

つまり「考えない・悩まない」みたいな状態になるので、楽っちゃ楽なんですよね。

もっともっと深く検討してみれば、やっぱり「違和感みたいなもの」はあるんだけど、そこまで掘り切ってしまうと次の一手がなかなか出てこないから路頭に迷ってしまう。

っていうのを実は直感的に理解しちゃっているから、この“僅かなズレ”みたいなものは無かったことにしちゃおうと。

しかし、やっぱり僕たちを良い方向に導いてくれるのは、「ハッキリした違和感」というよりも「違和感みたいなもの」の中に隠れていることが多いし、それを見て見ぬフリをしてはいけない。

「本当はわかっていたのに、あえて見過ごす」ということをやっていると、気付いたら自分が世間の中に埋もれていってしまいます。

後々そこから這い上がってくる方がよっぽど大変だから、やっぱり日頃から自分の感覚には耳を澄ませていきたいなぁと思っています。

その連続が「わたし」を作ってくれるはずなので。

目次