世の中の母ちゃん達が「母親」という役割をたまに横に置いて「わたし」として生きるために、僕は伴走していきたい
母親が癌になってから亡くなるまでの時間でほんっとに色んなことがあって、めっちゃ悩んだこともあれば最高に嬉しかったことも本当にさまざまでした。僕はこの期間で「母親が自分らしさを取り戻していく過程」を一緒に歩んできたから、「自分らしく生きること」がどれだけ尊いものなのかを肌で感じることができました。
だから僕は「自分らしく生きる」ということをもっと突き詰めて考えていきたいし、僕にとっては考えていく行為そのものが「自分らしさ」だったりもします。
その「自分らしさ」というのは人によって違うからこそ、みんな「自分らしく生きる」ことに悩むのだけど、でも突き詰めて考えていくと「人間らしさを探究すること」がひとつ大きなヒントになるんですよね。
これは母親が「人間らしく生きること」を体現していったからこそ気づくことができた視点で、僕はそれを24歳〜26歳という2年間で経験できたことはとても良かったなぁと。母親が癌で亡くなってしまったことはもちろん悲しいけれど、それ以上に大切なものを受け取ったことは間違いないです。
でもやっぱり、僕の母ももっと若い頃から自分らしく生きることができていたら、きっともっと楽しかっただろうしストレスも少なかっただろうし、たくさん旅行も行けただろうし。そうやって考えると、ある種の悔しさみたいなもんがあるんです(後悔ではなくって純粋に悔しいなって気持ち)。
だから僕は『世の中の母ちゃん達が「母親」という役割をたまに横に置いて「わたし」として生きるために、伴走していきたい』という想いが強くあります。カッコつけて言っちゃうと「僕の使命」みたいなもんなんだろうなぁと感じています。
母が僕に残してくれたもの、こういうことだったのかな。
今日はそんなことに気づくことができました。