人間関係における役割とは?役割思考における弊害について

「人間関係」という言葉って、これ自体がとても広い意味を含んでいるから、想像できるものは無数にあると思います。

でも逆にいえば、それだけ「人間関係」というものは奥が深く、底知れず、未知なることもたくさんあるということです。

だからこのブログでも頻繁に取りあげていきたいテーマなのですが、今回はその中でも「役割」というポイントに絞って話していきます。

これはどんな人にとっても共通することだと思いますので、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。

目次

人間関係における役割とは

そもそもここで言う「役割」というのは、いったい何を指しているのかというと、「誰もがわかる呼び方」というものです。

例えば、「父・母」「兄弟」という言葉だったり、「友達」「上司」「彼氏・彼女」などなど、これらの呼び方はかなりたくさんあると思います。

もっと抽象的に、「家族」とか「会社の人」とか「サークルの同期」みたいに、大人数をくくることもできたりするわけです。

僕は、「誰もがわかる呼び方=役割」というのが人間関係には存在しているということを、まずは認識することがとても大事だと考えています。

というのも、この“役割思考”を持っていることによって生み出される悩みがあったり、はたまた「私」という唯一無二の存在を枠に押し込めてしまう、ということが起きたりするからです。

役割思考による弊害

人間関係を「役割思考」で捉え過ぎてしまうと、いくつかの弊害が出てきたりします。

例えば、「親はこうあるべきだ」とか、「上司として振舞わなければならない」とか、「彼女が喜ぶような彼氏でいよう」とか。実はこういうことって日常的によくあることだと思います。

しかし、「私」という存在は、ときに「親」でもあり、「子供」でもあり、「上司」でもあり、「部下」でもあり、「誰かの親友」でもある、みたいなことが平気であるわけです。

つまり、人間関係を「役割」で捉えすぎてしまうと、「私」という絶対的に一人しかいない存在がすみっこに追いやられてしまい、「その他大勢の価値観」にどんどん浸食されてしまうという弊害が出てくることになってしまいます。

さらにいえば、僕たちは無意識のうちに自分を「役割」に当てはめてしまうし、その「役割」から生まれる言葉を使うようになり、そしてその言葉を使って物事を考えて、そこで形成した価値観を持って他者と関わるようになる。

こうなると、人間関係における悩みが、「私とあなた」という関係性ではなくて、「“親である”私と、“子供である”あなた」という余計なものがくっついてきてしまうんです。

人間関係における悩みをなくすことはできないし、とても苦しい時期もあったりするけれど、むしろ「私とあなた」という関係性で生まれてくる悩みは、どんどん受け入れる(時にぶつかっていく)のがいいと思っています。

むしろそれを面白がったり、新しい視点を見つけるきっかけだと思えたときに、次の世界が開けていくはずです。

今回の記事のまとめ

今回の記事をざっくりまとめると以下のようになります。

・人間関係を役割思考で捉え過ぎると弊害がある
・「私とあなた」という関係性が大切

僕もこんな偉そうなことを書いておきながら、まだまだ全然「私とあなた」という関係性でいられないことがたっくさんあります(笑)

でも、こうやって日々じぶんを見つめ直しながら、一歩ずつ進んでいくことできっと見えてくるものがあるだろうと、そう信じて今日もコツコツやっています。

最後までお読みいただきありがとうございました!!

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