自信とは「たぶん、大丈夫」と思えること
今日、ある方と話していて、「自信」についてひとつのヒントを得ました。
今回はそのことについてまとめていきたいと思います!
自信とは「たぶん、大丈夫」と思えること
この「自信」というテーマは、ものすごく広くて様々な見方があるから、ひとえに「自信は○○である」ということを断言することはできないと思っています。
ただ、逆に言えば「もしかしたらこういう側面もあるんじゃないの?」っていうことがたくさんあるから、そういうストックを持っているだけで、「自信」の見方がいくつにも見えてくるのも事実です。
という前提を踏まえてなのですが、「たぶん、大丈夫」と思えていることって、「自信」という漠然とした言葉をわかりやすく表現できているような感じがします。
この「たぶん」というところがみそで、それはつまり「確証がないけど」という意味合いを持っているということ。
この不確実性があるにもかかわらず、「大丈夫」と思えているということが、すごく奥深い意味合いを持っているんです。
「ぜったい、大丈夫」は脆い
逆に言うと、「ぜったい、大丈夫」というこの確固たる思いは、もしかすると「自信」とはちょっと異質のものかもしれない、と思うようになりました。
いやいや、自信って確証がないとダメでしょ、って言いたくなりますが、ここは冷静に覗いてみたほうが良さそうです。
「裏付け」によって得られる「確証」が自信を作り出していると思われている時、それはかなり脆い可能性があるのです。
なぜなら、何かしらの事情によって、その「確証」に変化が起きた時、それはもう「確証」ではなくなってしまうから。
そうすると人は急に不安になり、どうして良いか分からなくなってしまう。
そしてそうなってしまうものだから、また「確証」を探すようになり、それを得られると安心する、失うと不安になる…というループを繰り返していくわけです。
今回の記事のまとめ
ここまで話してきたことをまとめると、以下のようなイメージになります。
「たぶん、大丈夫」=竹のように、しなる強さがある。外部から力が加わってもそう簡単には折れない。
「ぜったい、大丈夫」=木のように、がちっとした強さがある。しかし、外部から一定以上の力が加わると簡単に折れてしまうこともある。
今回の記事でお伝えしたかったのは、「ぜったい、大丈夫」と思うことはダメだ、ということではありません。
しかし、木のようながっちりとした強さだけしか持っていないと、どこかの段階かでポキっと折れてしまうかもしれない。
だから、確証はないけれど、しなる強さを持っている、「たぶん、大丈夫」という感覚を持つことに目を向けてみると良いかもしれません。