「圧倒的な成長」や「全力でがんばる」という言葉はすべて外の世界からの輸入品だった。
「圧倒的な成長」とか「全力でがんばる」みたいな世界観で生きていたとき、だいたい20代前半くらいだったかな、そのときはどうしても「他者との比較」が生まれていたし、それどころか「他者より劣っている自分はまだまだ足りないところがある」という自己否定がずっと心を蝕んでいました。
なぜなら「圧倒的な成長」や「全力でがんばる」ということこそ“善”という発想なので、それを裏っ返しにすると「成長できてない自分」や「サボってしまう自分」はすべて“悪”になってしまうからです。
このような「善悪二元論」にようやく蹴りがついたのが25歳のとき。その頃から僕の心を蝕んでいたさまざまな二元論がぺりぺりと剥がれていきまして、数年かけてようやく「本当の自分」が顔を出してきたように思います。
そこでようやく気づいたのは、冒頭に書いたような「圧倒的な成長」とか「全力でがんばる」という言葉はすべて「外の世界からの輸入品だった」ということです。
つまり、僕自身がそれを心から望んだわけではなく、世間や社会が「成長」「全力」という言葉を重宝しているに過ぎず、まったくもって自分の内側には存在していなかったということでした。
この発見により、僕は「理性(頭)を中心とした生き方」から「感性(心)を中心とした生き方」へと大きくシフトすることができたのだと思います。
人間にはとても高度な「理性(頭)」があるので、どうしても二元論的な発想でいろいろと考えてしまいますが、そんな理性よりも遥かにすばらしい性能を搭載した「感性(心)」が人間には備わっています。
ここで強調したいのは「感性(心)のほうが大事」ということではありません。これではまた二元論になってしまいます。そうではなく、あくまで感性(心)を中心としつつも、時には理性(頭)と手を取り合って協働していくことが人生においてとても大切だということです。