「目的を決めないからこそ、目的が達成される」という逆説

目的を決めないからこそ、目的が達成される。
ゴールを決めないからこそ、ゴールに到達する。
目標がないからこそ、その目標をクリアする。

こういう逆説的状況にこそ、目を向けなければいけない。

全然努力していないあの人が結果を出し、皆んなから重宝され、楽しく生きている。その状況は「がんばって努力している人」からすると気に食わないし、そんなのおかしいと思いたくなる。

ただ皮肉なもんで、おかしいのは「がんばって努力しなきゃ」と思い込んでいるその状態にある。なぜなら「全然努力しない」ほうが自然なのだ。人は努力なんかせずとも、何かを身につけ、前に進み、自らの生きる力をもって、あらゆる問題を解決していく。

きっと誰しも、はじめて寝返りをうった日、はじめて「ママ」「パパ」と呼んだ日、はじめて離乳食を食べた日、はじめて立ち上がった日、はじめて走り回った日、人それぞれさまざまな「到達地点」があった。

でもそれは目指したわけじゃない。「絶対来月までにはパパママと呼ぶぞ!」という目標を立てたわけではないし、「他の赤ちゃんよりも早いタイミングで離乳食に移行できたら、僕には価値があるぞ!」なんて考えていたわけでもない。

ただ目の前にある興味のあるものに手を伸ばした。そこで手を使った。手の届かないところにいくためには身体を動かさねばならない。だから足を動かす。パパママを呼びたい。そのためには声を出さないといけない。身体がうずうずしてたまらなく動きたくなった。気づいたら走っていた。

この世に生まれ落ちたときは何から何まで他者の力がないと生きていけないのに、そこからたった数年も経てば、自分で歩く、自分で食べる、言葉で意思疎通ができる。目覚ましい成長。でも当の本人は「努力した結果」「ぼくは意志が強いから言葉を覚えられた」「継続は力なり」なんて微塵も思っていない。気づけばそうなっていた。

なぜか?それは、人間には生きる力があるから。動物、生命には「生きる」方向へと推進していく力が備わっているから。その力とやらを、ただ存分に発揮していただけにすぎない。

そもそも目的やゴールや目標なんていうのは、過去→現在→未来という時間の概念がなければ成立しない。未来、将来、そのためにこれをしようという発想。時間について考えることのできない小さな赤ちゃんや、他の動物たちも、「ライフプラン」や「キャリア設計」なんてものはない。それでも、あっと驚くような進化、変化を遂げる。

そういうわけで、僕たちが信じなければいけないのは、僕たちにはそういう「生きる力がある」ということ。それはつまり「生きる力を信じる=自然の力を信じる=自分を信じる=自信」ということ。

実績も経験も何かの足しにはなるかもしれない。けど、もう一度振り返れば、生まれたばかりの赤ちゃんには実績もくそもない。経験もなにもない。それでも、もともと搭載された好奇心エンジンとやらをフルに稼働させて、ただ、目的地のない道を進んでいく。

大人たちよ、思い出せ。
あなたの中に眠っているエンジンを。
生きる力を呼び覚ませ!

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