「友達」というラベルは、僕の世界にとっては不要なものだった。

そういえば、気づけば周りの人に対して「友達」とか「親友」とか「ビジネスパートナー」とか、そういう定義をしなくなった。

こうなってみて初めて「友達」などという言葉はじぶんの世界のなかには不要になったのだなということにも気づいてきた。

もちろん便宜的に「彼は僕の友達です」と言うシーンは今後もあるんだろうけど、それは社会との接続のための言葉であって、僕の内面的な感覚としては不要であるということです。

こうやって世界を眺めてみると、まぁほんと、人を定義する言葉が多いこと。別の言い方をすれば、ひとりひとりの中にたくさんの役割がある。

たとえば「とある男性」も、ある時には「夫」になり、ある時には「課長」になり、ある時には「客」になり、ある時には「子供」になる。

さらに他の誰かから見たら「友達」かもしれないし、ある人にとっては「戦友」かもしれない。

もっと大きな視点から見ると「納税者」とか「消費者」とか、いろいろな呼び方ができるわけです。

おもしろいですね。僕たちの中にあるたくさんの呼び方、つまりは役割。

こういうことが絶妙にバランスしてこの世界は成り立っているんだなぁと思うと、すごいなぁとなんだか感心してしまう。

ただ、やっぱり僕は「友達」とか「親友」とか「ビジネスパートナー」とか、そういう呼び方ではない、その人そのもの、その人の感性、そういう部分を見たいなと思います。

そっちのほうがね、もっとずっと世界はおもしろくなるもんです。

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