反省はいらない。苦手の改善もいらない。必要なのは「内省」と「探究」です。
自己否定が終わったあとの大きな変化として「反省する時間がなくなった」「苦手を改善する発想が消えた」ということがあります。
反省しないというのは、決して「ぜんぶ人のせいにする」とか「自分のことだけを考える」ということではないです。むしろ徹底して“内省”し、自分の内側の奥深くまで見ていきます。
そもそも「反省」という言葉にはさまざまな汚れが付着していて、たとえば学校で怒られたときに「反省文書きなさい!」と言われたり、親からこっぴどく叱られたときに「そこに座って反省しなさい!」と言われたり。
教師や親、つまりは組織において力を持つ人たちが、そうではない人たちを「管理」「統制」するために都合のいい言葉として「反省」を使うケースが多いんです。
僕の記憶だと、学校の体育の時間、みんなでサッカーをした後に「今日の授業の中での反省をプリントに書きなさい」と指示がありました。ただみんなで楽しくサッカーをしていただけなのにも関わらずです。
細かなところですが、このような経験を通して知らず知らずのうちに「反省は必要なもの」という認識が刷り込まれていきます。
なので、たくさんの汚れが付いている「反省」という言葉をやみくもに使うよりも、「内省」という言葉を使ったほうがよっぽど意味のある時間になるのです。
要するに反省文を書くくらいなら“内省文”を書いたほうがいいし、座って反省するくらいなら“対話して内省する”ほうがいいわけです。
そしてもうひとつ重要なことを補足すると、この反省という概念は「苦手は改善しなければならない」という無意識下の固定観念とも強く結びついています。
たとえば仕事においても「タスク管理が苦手→それを改善せねば」とか「コミュニケーションが苦手→それを改善せねば」という発想がよくみられます。
もちろん改善することの全てがダメというわけではないです。前向きな結果をもたらすこともあると思います。ただ、あまりにも「苦手は改善すべき」という固定観念が強く存在すると、内省のプロセスには入れず、自己否定を伴う反省のプロセスに入ってしまうのです。
なのでむしろ「苦手なことを改善しよう」ではなく、「そもそもなぜ苦手意識があるのか」「苦手意識が芽生える前はどういう認識だったのか」といったように、自分に対して“探究”しながら言葉にしていくことが大切です。
最後にまとめると、
・反省ではなく内省
・改善ではなく探究
を合言葉に日常を過ごしてみると、少しずつ見え方が変わってくると思います。最後まで読んでくださってありがとうございました!
