父が亡くなる直前に目撃した「昭和的なコミュニケーション」がすごくよかったという話

父が亡くなる直前、過去の友人たちがたくさん病室に来てくれたんですが、ほとんど意識のない父へ向けて「おい!起きてるか!また一緒に遊びに行こうな!!」とベッドを揺らしながら熱い言葉をかけてくれた方がいました。

ちょ、そこまでベッド揺らさないでww(揺らしすぎててちょっと面白かった笑)もうまもなく亡くなる状態だからもう少し優しくしてくれ!笑

と思ったりもしたんですが、それと同時に「ここまで熱い想いを届けてくれる友人との関係性を父は作ってきたんだな」という事実を目の当たりにして、それはすごく素直によかったなぁというか、なんかこう、今の時代(というと広い言葉だけど)にはあまり見ない光景だなと。

“令和的”なコミュニケーションはもう少しライトで近すぎなくて、でも遠すぎない。相手のことも考える。あまり踏み込みすぎない。みたいな感じ。

一方でその病室で見た“昭和的”なコミュニケーションはグッと踏み込む。相手に対してぶつかっていく。すごく濃度がある。時に摩擦も生むかもしれない。みたいな感じ。

あえてここで対比的にしたのは、べつにどっちがいいとか悪いとかそういうことではなくて、今の時代を生きる僕たち(特に平成以降に生まれた人たち)にとっては、“昭和的”なコミュニケーションの良かったところはもっと模倣できるところがあるんじゃないかということを表現したかったからです。

ベッドを揺らすくらい、そして病室の外に漏れるくらいの大きな声、とにかく伝えたいという熱い気持ち、こういう感覚ってなんだか少なくなってきたなぁと。

一歩間違えたらそういうのって「ハラスメント」とか言われかねないので、だから時代の流れ的には自然なのかもしれないけど、でもやっぱり僕は「こういうコミュニケーション、すごくいいじゃん」って病室で感じたんですよね。

そんなわけで、ちょっとややこしい言い回しなんですけど、「令和版の昭和的コミュニケーション」を模索していくことを僕はちょっとずつやっていきたい。

要するに、ただただ熱くなってテンションで押し切れ!みたいなコミュニケーションでもなくって、一方で相手にあまり踏み込まないソフトなコミュニケーションをするわけでもなくって、さらにその先へ。冷静に熱く、熱く冷静に。その絶妙な塩梅を探っていきたいなと思います。

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