「自己否定」が終わったあとの世界は「楽園」ではなく「孤独」である。

「自己否定」が終わったあとの世界は、ただただラクになるわけではなく、むしろより一層苦悩したり葛藤するようになるし、身のまわりのあらゆることに対して大きな違和感を抱くようになるし、ある意味「世界はこんなものだったのか」と絶望することでもあるんです。

なぜなら「自己否定」が終わるということは、世界から二元論が消え去り、目の前のことをフラットにありのままに捉えられるようになるからです。

つまり、フラットに世界が見えるということはプラスな側面もたくさんあるわけですが、一方で既存の価値基準や社会規範みたいなものがすべて壊され、それらの枠組みの外で生きるということを意味します。そこにあるのは「楽園」ではなく「孤独」であり、その「孤独」なかに自分なりの味わいを見出して生きていくことが必須条件になるのです。

そうやって世界が見えるようになると冒頭でも言ったような苦悩や葛藤、絶望的な感覚を抱くようになるのですが、そこをさらに突き抜けていった先にわずかに感じ取れる「美」や「真実」や「愛」のようなものがあって、そこに触れたときに「あぁ、これが生きるということなのか」と生きている意味を実感することができるのです。

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